ぱぱハート

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車とお別れした日

かれこれ、5ヶ月ほど前のお話です。

その日、ぼくはいつもどおり、キーについているボタンで車のドアを解錠しました。ドアを開けると特有の匂いと、むわっとした空気。でもその日は、その生温かさすら心地よかった。

シートベルトをして、エンジンをかけました。助手席には、数日前に結んだ売買契約書が無造作に置かれていました。その日、ぼくは車を手離しました。

 

キーにつけていたストラップも、バックミラーにかけていたお守りも、既に外してありました。

サイドミラーを開き、バックミラーの角度を調整。ギアをドライブに入れ、サイドブレーキを降ろします。

もう、この車のエンジンをかけることも、サイドブレーキを降ろすこともないんだな。そんな思いが頭を過ぎりました。

ハンドルの感触を両手で確かめながら、車を動かします。AT車なのでブレーキから足を離せばアクセルを踏まずとも進むのですが、その日は何だかゆっくりしか進みません。

車も、最後だってわかっていたのかな。

いつもなら、繋いだiPodで音楽を聴くところですが、その日は控えました。車のエンジン音を、聞いていたい気分でした。

スピードも必要以上には出しません。追い越し車線に移動することもしません。最後のドライブを、少しでも長く楽しもうとしました。

たくさんの人を乗せました。たくさんの場所に行きました。あの車がなければ行けなかった場所、あの車がなければ買えなかったもの、その数は計り知れません。

初めてあの車に乗ったときの高揚感も、ついこの間のことのように思い出されます。

何ヶ月も洗車しなかったり、車検代をケチったりしました。電柱に擦ったこともありました。ぼくは、あの車にとって決していい所有者ではなかったと思います。

特別な車ではありません。どこにでもある大衆車です。ぼくはクルマにこだわりなどはなく、交通用具の一つであり、動けば何でもいいとすら思っていました。ぼくはそう思っていると、思っていました。

それでも、ぼくはあの車のことが好きでした。

車の中で、たくさんの話をしました。色々な音楽を聞きました。車のフロントガラスを通して、多くの景色を見ました。

余りにも多くの思い出を、あの車と作り過ぎました。手離すのが、あんなに辛いことだとは思いませんでした。

ごめんなさい。転居先は駐車場が高く、車を維持し続けるのは難しいんです。ぼくにもう少し、稼ぎがあれば。そうすれば、君を連れて行ってあげられたのに。ごめんなさい。

車がなくて、ぼくは本当に大丈夫だろうか。やっぱり手離さなければよかったと、後悔するんじゃないだろうか。そんな思いも抱きました。でも、もう引き返すことは許されませんでした。

中古車屋さんに車を入れ、エンジンを止めます。ドアを開いて車を降り、鍵をかけます。

車のキーを渡し、店内で書類を確認してもらいました。そして店の外に出たとき、車はもうそこにはありませんでした。余りにも呆気ない別れでした。

しかし。

帰り道、店の裏側にある、たくさんの車が並べられた車置き場とでもいうような敷地を、たまたま通りかかりました。探すまでもありません。いつもと同じキリッとした佇まい。ぼくの車はすぐに見つかりました。

いや、かつてぼくのものだった車です。

お別れです。もう、あの車に乗ることはできません。姿をもう一度見てしまったことで、消化したはずの寂しさが、再び溢れ出てきました。

さようなら。本当にお世話になりました。どうか、いい人に買われてください。どうか、大切にしてもらってください。これからもたくさんの人を乗せて、たくさんの場所に行ってください。くれぐれも事故には気をつけて。

家に戻ると、車の停まっていない駐車場が目に入りました。ポッカリ空いたそのスペースは、まるでぼくの心の中に空いた穴のようでした。

 

それから5ヶ月経った今日、かつてのぼくの車と同じ車種、同じ色の車を見かけました。どこにでもある大衆車なのに、見かけたのは久しぶりでした。

子どもが、車を好きになったのは、車を売却した2ヶ月後でした。おそらく子どもには、かつて我が家にあった車の記憶はないでしょう。チャイルドシートの感触も、車で出かけた思い出も。

あの車は、今頃どこを走っているのでしょうか。頑張っているでしょうか。
いつかまた、子どもを連れてドライブに行きたいな。そんなことを考えながら、子どもとトミカで遊びました。

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