ぱぱハート

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生きる覚悟

くらーいくらーい話をします。読まないでください。

秋の夜長を持て余している方のみ,どうぞ。

 

10月には,ぼくの母方の祖父の命日がありました。ほら,もう既に暗い。7回忌すら終えていて,もうずいぶん前の話なんですけどね。

祭儀場の方針なのか宗教上のイベントなのか知りませんが,亡くなった祖父に一人ずつ声をかける機会があったんですよね。そのときぼくの母が言ったんです。祖父のおかげでぼくが「生きるということがどういうことか,わかったと思う」と。

別に、自殺未遂とかしてないっすよ。手首もきれいです。ただ,ぼくが人の死というものに直面したのは,祖父の件が初めてだったんですよね。

脳梗塞で亡くなった祖父が倒れたのは,亡くなる3年前だったかな。後遺症を残しながらも退院し,リハビリをして。しかし,その数年後に再発。入院していた病院で息を引き取りました。最期は自力での嚥下もままならず,管を使って胃に直接食べ物の代わりとなる栄養素を流し込んでいました。ベッドの上でやせ細った祖父は,健康な頃とは変わり果てた姿をしていました。博識でビール好きで豪快に笑う。そんな祖父が最後にぼくたちに見せた姿。何度倒れても懸命に前を向き,ひたむきにがむしゃらに生にしがみつく姿はまさに,ぼくに「生きる」ということを教えてくれました。

 

醜態を晒してでも,懸命に生きるつもりでいます。子どもができて尚更,そう思うようになりました。そういう姿を子どもや,その子どもに見せることができれば。祖父がぼくに教えてくれたように,何かを残すことができるかもしれないと思っています。

申し訳ないけれど,妻にはその負担をかけてしまうことになるでしょう。夫の介護を引き受けてもらわなければいけないかもしれません。食事やお風呂はもちろん,下の世話までしてもらわなければいけなくなる日が来るかもしれません。本当に申し訳ない。

ちなみに,逆は嫌です。ぼくより先に逝くことは許しません。残されても耐えられそうにないんで。あ,逝かないでくれるなら介護まではしてもいいかな。ま,それは余談でして。

 

一方で,子どもに負担をかける覚悟がまだ,できません。

食事の後に口の周りを拭いて,お風呂では身体を洗い,下の世話をする。いまぼくが子どもにしているようなことを,いつか子どもにやってもらう。その覚悟ができていません。赤ちゃんってきれいだから,やる方も耐えられるという部分もあると思うんですよね。でもじじいになったぼく,確実に汚いですからね。色々な負担をかけると思うんです。子育てよりも,さらにキツイ試練を子どもに課してしまうのではないかと,不安でなりません。

往生せずに,適当なタイミングでポックリ逝った方が,子どもにはいいんでしょうね。親父が早く死んでくれた方がラクだなんて,疎ましく思われてまで生きるのは辛いですよ。ぼくより残された妻の面倒見てやってほしいですし。介護のせいで色々なことを我慢したり、辛い思いをさせたくありません。

 

ぼくは,両親や妻の両親の面倒を見るのは当然だと思っています。お世話になった恩返しをしたいという動機もありますが,ただ単純に,自分の親ですからね。面倒くらいみますよ。実際やってみたら,介護は辛いことの連続なんでしょうけどね。

子どももいずれ,ぼくの面倒を見るのは当然だと思ってくれたりするのでしょうか。あんまり負担掛けたくないんですよ,本当に。

いまはプラレールのコースをうまく繋げられずにビイビイ泣くようなへなちょこなのに,いつかこいつに面倒を見てもらう日が来るのかと思うと,おかしくて仕方ありません。

 

生にしがみつくか,とっとと逝くか。自分では決められないことを悩んだところで,どうしようもないんですけどね。それはわかってるんですけどね。