ぱぱハート

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4歳と0歳の息子たちとの日常を綴ります

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はじめてのお泊まり

長男のいない夜

家の中が、いつになく静かです。こんな夜を過ごすのは、いつぶりのことでしょうか。

今夜は4歳の長男がお泊まりで出かけています。行き先は、ぼくの実家です。

 

ぼくの実家は、自宅から車で15分ほどのところにあります。

歩いて行くには遠く、最寄りの駅もスーパーも違う。ただ、何かあったときにはお互いにすぐに駆けつけられる。そんな距離感です。

 

あえてぼくの実家の近くに住んでいるのではなく、転勤族とまでは言わないまでも一定のスパンで異動をするぼくたち夫婦が、たまたま流れ着いたのがいまの自宅の場所でした。たまたまです。

 

そんな距離感なので、ぼくの実家には頻繁に日帰りで遊びに行っています。

長男がおじいちゃんの家に泊まりたい、と言い出したのも、日帰りで遊んでもらった日のことでした。

 

うちにはもう一人、生後4か月の子がいます。ぼくの実家はマンションであるため、4人で押し掛けるにはちと狭い。

おじいちゃんの家に泊まるなら、一人で泊まること。それが長男に突き付けられた条件でした。

 

意外にも、長男はその条件をあっさり承諾。

ぼくの実家が自宅から近いので、万が一のときにも駆け付けられるという安心感もあり、ぼくたちは長男を送り出すことにしました。

 

思えば、生まれたその日こそ産科の方針で別室で寝たものの、その日以降 長男は常に、ぼくか奥さんのどちらかと一緒に夜を過ごしてきました。ぼくが仕事で帰れなかったことも、奥さんが第2子の出産のために入院していたこともありましたが、長男にとって両親がどちらもいないという状況は、今回が初めて。いま、一体どんな気持ちで過ごしているのでしょうか。

 

長男が生まれて、ぼくたち夫婦の生活は激変しました。生活の中心には子どもがいて、何をするにも子どものことを最優先に考えてきました。ただ、その変化は決してネガティブなものではなかったように思います。

 

長男が4歳になる年の春に、次男が生まれました。赤ちゃんの登場により、我が家の暮らしは今度は次男中心のものに変化すると思われました。しかし不思議なことに、赤ちゃんが現れてからも長男は我が家の中心に居続けました。抱っこするかしないか、お風呂の順番、お出かけの行き先など様々なことが、どちらかというと長男のリズムを考慮して決められており、赤ちゃんがお兄ちゃんに合わせているような、なんとも申し訳ない暮らしをしています。

 

そんな長男が、いない。

子どもが生まれる前は家には夫婦二人だけしかいなかったのに。長男がいなくても次男はいるのに。なんだか突然 家が広くなったような、部屋が静かすぎるせいで生活音がいつもより響いているような、そんな気がします。

 

長男は今頃、おじいちゃんの家でどうしているのだろう。楽しんでくれているといいなと思う反面、少しは両親がいないことを寂しく感じていてほしいとも思ったりします。

 

 

帰宅後

長男は、新しいおもちゃを手にしてウキウキしながら帰ってきやがりました。

「楽しかった!」「全然寂しくなかった!」「また行きたい!」

 

子どもは、大人が思うよりもはるかにタフでした。

 

我々の休息のためにも、今後はバンバン一人で外泊させるかもしれません。

楽しくてよかったね!

 

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読書感想文『終末のフール』-残された時間を充たす静かで穏やかな空気

舞台は伊坂作品でおなじみの街、仙台。ただし、終末の仙台。

 

8年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する。そんな発表がされた5年後。

滅亡する世界に絶望した人々は余裕もモラルも失い、社会は秩序を欠き、世界は混沌と荒廃の一路を辿ります。犯罪が横行し、あらゆる仕組みが機能を失い、多くの人が死にました。しかし、そんな混乱も時間の経過とともに沈静化し、やがてくる滅亡のときまでの小康状態を迎えます。

 

この作品は、8つの短編を収録したものです。8人の異なる主人公たちが、滅亡まで残り3年となった世界を生きる姿が描かれています。

 

8人の主人公やその周囲にいる登場人物たちは、滅亡するという報道直後の混乱する社会を生き抜きました。そして、3年後に地球が滅びるという事実と向き合い、それを受け入れています。SFっぽい世界観の中での彼らの考え方や振る舞いはとてもリアルで、いろいろなことを考えさせられます。

特に「太陽のシール」でサッカー部の元主将の土屋が語る死よりも怖いことと、「深海のポール」で渡部の妻がした「生き抜くっていうのはさ」という話が印象的でした。

 

地球滅亡の報がもたらした混乱は、作中に大きな影を落としています。それに加えて、3年後には地球が滅びるという絶望。ストーリー全体に、静かで哀しい独特の空気感が漂っています。

 

その空気感は、静謐な雰囲気も湛えています。夏の終わりの、ひぐらしの声とともに気温が少しずつ下がり始める夕方のような。あるいは、肌を刺すように寒い冬の、遠くまで見通すことのできる澄んだ空気をまとった朝のような。混乱が落ち着き、それを乗り越えたという安堵感と、迫る滅亡とともにこれから再び始まるであろう混沌との間の、最後のひととき。救いようのない絶望の中であるにもかかわらず、信じられないほどに優しく、穏やかな世界がそこにはあります。

  

作中の静かな空気感と清々しい読後感は、数ある伊坂作品の中でも一、二を争うほどではないでしょうか。

 

もし。

もし、人生の終わりの刻を告げられたとしたら、自分はどのように生きるでしょうか。

作中のように地球が滅亡するという最期を告げられることは実際にはないかもしれませんが、例えば病気などで余命を告げられるということは現実にも起こり得ることです。

 

最期の刻までの限られた時間に、自分は何をするか。 

自分の欲という欲をすべて満たそうとするでしょうか。あるいは、あえて普段通りの生活を送るでしょうか。絶望して、何もできなくなることだってあり得ます。

大切な人との時間を過ごすでしょうか。それとも、残される人のために、大切な人とは距離と取ろうとするでしょうか。

それぞれの大事なものや価値観、考え方が見えてくる気がします。

 

今日という日は、残された日々の最初の一日。

それは実は、終わりが告げられていてもそうでなくても同じなんですけどね。

 

ぼくの場合は、家族とゆっくり過ごしながらその刻を迎えるだろうと思います。

訪れる最期のときに怯えながら、それでも妻にしっかりしろと発破をかけられたりしながら、父親でいることを全うしようとしているのではないかと想像しています。

 

ちなみに。

たぶん、というか絶対に、仕事はやめます。

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