『あんなに あんなに』 かけがえのない「今」を胸に刻もう
絵本を読んで,涙を流したことはありますか。
長男が自転車に乗れるようになりました。でかけることができる範囲がぐっと増えました。いままで行けなかった遠くの公園にも行くことができます。経験できることが増えました。見える景色が変わりました。楽しいことが増えました。
だけど,長男と自転車の練習をすることはもう二度とありません。
子育て中のパパさん,ママさんは時間に追われながら日々を過ごしておられるのではないでしょうか。
我が家は常に時間と格闘しているような状態です。子どもたちを「朝だよー,おはよー」と起こし,眠そうにだらだらするところを急かして着替えを済ませ,朝食を用意する。仕事に間に合うように急いで支度をして,保育園や学校に子どもたちを送り出す。子どもたちが家に帰ってきてからは,ちゃんと睡眠時間を確保できるよう,夕飯を食べ,後片付けをして,お風呂に入り,歯を磨き,長男のピアノの練習や学校の宿題に付き合い,次男に絵本を読んだりしてから就寝。子どもが寝てからも洗濯物を片づけたり,学校や保育園からのお便りに目を通したり,翌日の準備をしたり。休みの日には公園に出掛け,習い事に行き,買い物や料理をしたり,平日にできないような場所の掃除なんかもしたりして。休日も平日も,いつも慌ただしく時間が過ぎ去っていきます。
足りない。時間が圧倒的に足りない。逃げ恥のガッキーのような家事代行サービス(ただしガッキーが来てくれるなら家事をしてくれなくても可)の無償化と,育児・家事の有給休暇制度導入を強く求めます。
そんな日々は,スピード感に満ちているだけでなく,山あり谷あり,起伏も大きいものです。その振る舞いや姿勢から子どもの成長を感じられたときの喜びは,他のこととは比べ物にならないほどの感動をもたらしてくれます。運動会や習い事の発表会,卒園式のような大きなイベントの場はもちろん,お友達に優しく接することができたり,困っている人を助けられるようになったり,そんなシーンを見られることは,親として心を震わせるほど嬉しいものです。
一方で,わがままを言ったり,疲れて不機嫌になった子どもに手を焼き,辟易することもしばしば。癇癪を起していやな態度を取られたり,飲み物を盛大にぶちまけたり。我が家の二人の子どもたちが毎日のように兄弟げんかをするのも,もううんざりです。
子どもを中心とした生活は,さながらジェットコースターのようです。家族みんなで必死に駆け抜ける日々は,良いときも悪いときもありますが,総じて充実しているといえるものだと思います。
でも,そんな日々はいつまでも続くものではありません。どんな時間にも,いつかは終わりが来ます。早く終わってほしいと耐えたつらい日も,いつまでも続いてほしいと願った幸福な日も,等しく過ぎ去っていくものです。そして,「いま」は「過去」に姿を変え,「思い出」という箱にしまわれ,直接触れることのできないところに行ってしまいます。
あんなに あんなに
この絵本では,「あんなに○○だったのに」,「もうこんな」と様々なものの移ろいゆく姿が描かれます。
時の流れは,多くの喜びをもたらします。時間の流れとともに,多くのものが前に進んでいきます。そして,その歩みを止めることは,誰にもできません。
子どもの成長は,親として喜ばしいことです。我々がしているのは「育児」であり「子育て」です。子どもがまっすぐ,大きく成長できるよう守り,促すことが,子どもを育てるということなのだと思います。子どもの成長を見届けることができるのは,幸せなことです。
でも,止まることのない子どもの成長は,寂しさを伴うものでもあります。
ガーゼに染みついたミルクの匂い。もちもちのほっぺた。毎晩続いた2,3時間ごとの夜泣き。おむつから漏れ出してしまったうんち。毎日のように触れていたもの,当時の日常は,いつしかすべて手の届かないところに行ってしまいました。抱っこひも,哺乳瓶,ガラガラ,ベビーカー,オムツ。子どもが生まれるまでは無縁だったものたち。子どもの誕生とともに我が家に現れ,もうこれなしでは暮らせない!というほどの大活躍をして,そして去っていきました。
過ぎ去った日々が戻ってくることはありません。
慌ただしい日々,散らかったリビング,子どもたちの笑い声や泣き声。いま我が家にある日常は,いつか過去のものに変わります。終わりは絶対に来ます。
子どもの成長はうれしい。だけど別れたくはない。
大切な存在だからこそ,愛しているからこそ。子どもの成長がもたらす喜びと,その裏に確かに存在する「それまでとの別れ」による悲しみと。そのどちらもが大きく大きく膨れ上がるのでしょう。
ヨシタケシンスケさんのかわいらしいイラストで描かれた,息子と母の別れのシーン。お母さんの表情が絶妙で,切なさに胸が締め付けられました。
ぼくは,社会人になると同時に家を出て,一人暮らしを始めました。家族と離れた土地の狭いアパートの部屋で食べたコンビニのお弁当。一人暮らしの快適さなどまったく感じられず,ただただ寂しかったのを覚えています。
実家では,母と父が「行っちゃったね」なんてぼくのことを話していたそうです。夫婦二人で暮らしていた家にぼくが生まれ,始まった家族での生活。いまのぼくたちのように慌ただしく駆け抜けていく日々は,嵐のように過ぎ去ったのでしょう。それが終わりを迎えたとき,父と母は何を考え,どう感じていたのでしょうか。
もっと噛みしめないといけないなと思いました。子どもたちと過ごすことのできる,かけがえのない日々を。
手を伸ばせば届くところにいる子どもたちのいまを,記憶に刻み込んでおけるように。
ぼくと妻がおじいちゃんとおばあちゃんになったとき、縁側でお茶を飲みながら思い出す「人生で一番幸せだった時期」 は、子どもたちと過ごしている「いま」なんじゃないか。そう思います。