ぱぱハート

2児のパパの子育て日記。

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『かいけつゾロリ ぜったいぜつめい』 毒キノコが見せるのはその人の本性だ

「あ,毒キノコだ!」

 

「毒キノコ」はなぜか幼児や小学生になじみの深いアイテムのようです。滅多にお目にかかる機会なんてなさそうなものですが,長男からは「公園に毒キノコあったよ!」という物騒な報告をたまに受けます。

 

確かに,公園の木の近くにはキノコが生えています。それは普段,食卓やスーパーで目にするしめじやエリンギのようなキノコとは似ても似つかぬルックスをしています。こどもたちがそれを「毒キノコだ」と判断するのもうなずけます。

 

キノコに限った話ではありませんが,よく人類はあんなものを食べてみようという気になったなと。その勇気に感動と呆れとが入り混じった感情を抱いてしまいます。野生しているキノコを見て,食欲はそそられますか。なんかブヨブヨしてるし。実際には美味しいし,菌活なんていうのが流行るほど健康にもいいようですけどね。とても食欲をそそるような見た目はしていないと思うのですが。

 

かいけつゾロリ ぜったいぜつめい

 

  • 作 者  原ゆたか
  • 出版社  ポプラ社
  • 出版年  2000年
  • ページ数 95ページ
  • 対象年齢 6~8歳

 

シリーズ28作目となる本作で,ゾロリたちはその命の危機に直面します。

 

森で助けた女の人に,キノコ料理をごちそうになったゾロリ。しかしその料理の中には猛毒の「どくドリフ」が含まれていたのです。タイムリミットは8時間。それまでに解毒の効力がある「アンダコリヤ」を探し出さなければいけません。ゾロリたちは時間内に4人分の「アンダコリヤ」を見つけられるのか,というお話。キノコと解毒草のネーミングが気になります。

 

目を見張るのは,ゾロリの懐の深さでしょうか。ここから,一部ネタバレを含みます。

 

イシシ,ノシシが毒キノコの「どくドリフ」を拾ってきて,それをゾロリたちに助けられた女性,「スノウ」がトリュフと間違えて料理に加えてしまいます。毒キノコを食べてしまったことについて,ゾロリは完全に被害者なのですが,誰を責めるでもなく,すぐに解毒のために「アンダコリヤ」を探し始めます。命の危機にさらされるなんて,許されないレベルの大失態であるはずなのに,ゾロリはそれをサラッと受け入れます。ミスを責めるのではなく,すぐにそれをカバーする方法を考えてくれる。こんな上司の下で働けたら幸せでしょうね。イシシとノシシがゾロリを慕う気持ちがわかります。

 

そして,1本目の「アンダコリヤ」をみつけたとき,ゾロリが出会ったのは同じく「アンダコリヤ」を探す少年。曰く,彼のママがゾロリたちと同じく毒キノコの「どくドリフ」を食べてしまい,少年も「アンダコリヤ」を探しているのだとか。「ママが」と聞くと黙っていられないゾロリ。自分たちも瀬戸際の状況に立たされているにも関わらず,少年の願いを叶え,少年のママを救うことを選びます。自分が生きるか死ぬかの瀬戸際で,見ず知らずの他人のことを慮ることなんて,普通はできません。

そして,少年に「アンダコリヤ」を譲った後で,ゾロリはイシシとノシシに謝ります。

「イシシ,ノシシ。勝手なことをしてすまなかったな。」

見事です。

 

 

極めつけは,ラストです。

毒キノコのタイムリミットが迫り,ゾロリたちは毒で満足に身体を動かせなくなってきます。しかし,解毒草はまだ人数分には足りません。そこでゾロリがした選択。まさに絶体絶命の状況に立たされているのに,それでもなお自分の信念を貫き通す。子どもたちがゾロリに惹かれるのは,きっとこういうところなんだろうな,なんて思ってしまいます。児童書の主人公が,周りの人を踏み台にして自分だけでも,と生にしがみつく姿なんて見たくはありませんが,それにしたってここまでスパッと気持ちよく判断ができるキャラクターもいないのではないでしょうか。

 

人は,窮地に立たされるとその本性が見えやすくなる傾向があります。本当に守りたいもの,大事なものが明確になるんでしょうね。そうした状況下で何を選択するか。そこに人として本当に大事にしなければいけないものが見えます。

 

しかし,例えば自分の子どもたちがゾロリと同じ立場に立たされたら。親としては,子どもたちには他人ではなく自分たちの命を何よりも優先してほしいと思ってしまいます。天秤に乗っているのが「わが子」と「他人」であったとき,どちらに針が振れるかは明確です。

仮に,自分の子どもが窮地に立たされたとして,もし彼らが「自分」よりも「他人」を優先させる選択をしたとしたら。親として誇らしい気持ちになるとは思いますが,その選択を受け入れられるでしょうか。

 

この本を読んだ子どもたちには,自己を犠牲にしてでも他人の命や自分の信念を守るという選択をしたゾロリがかっこよく見えるでしょう。そんなゾロリを讃える気持ちを持つこともよいことだと思います。

ただし,自己犠牲を安易に美談としてしまうのは少し危険かなとも思います。少なくとも親は,子どもたちにそんなことは望んでないからね。まあ,ゾロリはそんなシリアスな岐路に立たされている感じではないので,杞憂ではありますが。

 

子どもたちのリアクション

クライマックスでゾロリたちが窮地に立たされたとき,どのような方法で切り抜けるか,という問題が作者のはらゆたかさんから出されます。こういうメタ要素がぼちぼち出てくるのも,ゾロリのおもしろいところです。

小学一年生の長男も,この問題がおもしろかったそうです。まんまと裏をかかれたようで,悔しそうに展開を楽しんでいました。

 

長男は「拾ったキノコを食べるなよなー」とも言っていたのですが,親としては「キミがそれを言うのか」と思わずにはいられません。

子どもは目を離すとこちらの予想の遥か上の行動を取ったりします。つつじとか吸いますからね,子どもは。公園でキノコを見つけ,うっかり口に入れるなんてことをしないとも限りません。

うちの子どもたちには,「公園に生えているキノコはぜんぶ毒キノコだから絶対に食べてはいけないよ!」と言い聞かせておいた方がいいかもしれません。

 

あ,だから長男は公園で毒キノコを発見してくるのか。なるほどなるほど。