ぱぱハート

2児のパパの子育て日記。

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『かいけつゾロリ つかまる!!』

メタ

1 「間に」「超えて」「高次の」などの意を表す接頭語。

2 「メタフィクション」の略語。フィクション作品の登場人物が,読者や視聴者にしか知りえない知識や裏事情などについて、作中で触れること。フィクション作品の中で、「これはフィクションである」ということを意図的に描写すること。

 

かいけつゾロリ つかまる!!

 

 

  • 作 者  原ゆたか
  • 出版社  ポプラ社
  • 出版年  1994年
  • ページ数 88ページ
  • 対象年齢 6~8歳

 

いたずらの限りを尽くしてきたゾロリたちに,ついに鉄槌が下されます。

表紙を開いた見開きには,ゾロリに対する苦情の数々が。悪役が主人公を務めているのは問題だとか,「の」の書き方が間違っているとか,チョコレートの食べ方がいやしいとか,音痴だとか。まあこんなことで逮捕されたらたまったものではないのですが,きっと何かしら,迷惑防止条例辺りに抵触したのでしょう。ゾロリは全国的に指名手配されてしまいます。

 

ゾロリが収容されたのは「キャラクターけいむしょ」。5年間もの期間,ここでゾロリは品行方正なキャラクターをなるべく更正プログラムを受けるというのです。ゾロリは無事に刑務所から逃げ出し,旅を続けられるのでしょうか。

 

 

本作には,ゾロリならではの「メタ」がてんこ盛りです。これでもか,と作者のはらゆたかさんのセンスが詰め込まれた本作には,ゾロリシリーズの魅力が色濃く出ているように思います。

 

まずは,ゾロリが逮捕されたときの新聞。見開きいっぱいに描かれた紙面には,4コマ漫画が用意されているなど細部まで作り込まれています。警察官によるゾロリを逮捕したときの話などはツッコミどころ満載。

隅には,作者のはらゆたかさんからの悲しいお知らせが。ゾロリが5年間収容されるので,なんとゾロリシリーズは5年間お休みに。既に発売されている既刊本も手に入りにくくなるかもよ,とのことです。

物語の中の新聞であるはずなのに,はらさんが語り掛けているのは「紙面を読んでいる登場人物」ではなく,「紙面の描かれた本を読んでいる読者」です。

他の作品でも,ゾロリの絶体絶命のピンチのときには今回がゾロリシリーズの最終回だ,というようなアナウンスがされることがあります。次ページ辺りですぐに撤回されるのですが。

主人公のピンチのときに,物語の枠を飛び越えて読者に語り掛けてくる手法によって,作者のはらさんが,本を読んでいる子どもたちと物語の中のゾロリとを橋渡ししてくれているように思います。

 

 

そして,刑務所のゴメス所長がゾロリたちの更正に着手するシーン。

更正プログラムが目指す品行方正な未来のゾロリの姿と,その状態のゾロリを主人公に据えた作品の数々は,まあとにかく魅力がない。かっこよさを根こそぎ奪われた,いい子かつ地味なゾロリが,道徳の教科書にでも出てきそうなつまらないお話の主人公をつとめる物語。そんな本から学ぶことも多いのかもしれませんが,「かいけつゾロリ」とのギャップが大きすぎて,思わず目を背けたくなります。

このシーンでは,ゾロリたち物語の登場人物たちが現実の世界に歩み寄ってきています。いたずらの王者を目指して旅をしているゾロリたちは,なぜか自分たちの冒険が物語として本になっていることを知っています。物語の中の住人でありながら,しっかりと読者の目のことを認識しているのです。

通常,「読書」は一方通行です。ぼくたちが本を読むとき,ぼくたちは登場人物たちの動きを一方的に覗き見しているようなかたちになります。しかし。虚構の世界の住人たちが現実の世界のことを認識しだすと。その関係は双方向なものに変わります。ぼくたちがゾロリの物語を読んでいる一方で,ゾロリはぼくたち読み手のことを意識している。彼らが読者の存在を知り,ときに話しかけてくることで,虚構と現実との境界はあやふやなものとなります。読者は物語に参加し,登場人物とコミュニケーションを取ることだってできてしまうのです。読んでいる子どもたちは,ぐっとゾロリたちを近しい存在であるように感じられるのではないでしょうか。

 

最期はキャラクターけいむしょの最終兵器「キエルンガーZ」です。

この兵器,更正不可能と判断されたキャラクターを文字通り「消す」力を持っています。痛めつけるのでも命を奪うのでもなく,消す。その光線を浴びると,消しゴムで消されたように跡形もなく真っ白になってしまいます。本で描かれる登場人物たちにとって,これ以上ないほど恐ろしいマシンです。

この兵器も,前提となっているのはゾロリたちが作者のはらゆたかさんに「描かれた」キャラクターであることです。「消される」というのは紙に描かれた絵の中だからこそ起こることで,ゾロリたちが本に描かれた存在であるがゆえに意味を持ちます。ゾロリたちのお話しの舞台が「本」の中であることを強く意識させる展開です。ラストのページでのゾロリたちのやり取りも,彼らが「描かれた」存在であることがゆえのものです。

 

現実ではない,紙面の中にいるゾロリたちの世界は,こちらからは手の届かないところです。だけれども,様々な仕掛けが施された本作においては,その距離感が短く感じられます。フィクションの世界の中にあって,限りなく読者に近い位置,その世界に「奥行」があるとしたら「手前」と言えるような場所にゾロリたちがいるような,そんな気持ちにさせてくれます。

 

子どもたちのリアクション

小学一年生の長男は,やはり「キエルンガーZ」の存在が気になったようです。登場人物を「消す」なんていう力,そうそうお目にかかりませんからね。

脱獄を諮る際にイシシとノシシの持ち物が提示されたことも,興味を引いた要素であったようです。彼らの持ち物の中には過去作に縁のある物もあり,嬉しく感じたと話してくれました。それを使ってゾロリたちがどのように脱獄をするのか,ナゾトキ感覚で考えたりもしてみたようです。

 

ぼくはラジオを聴くのが好きなのですが,その理由の一つはパーソナリティの方の声や言葉がまるで自分に語り掛けているかのようで,その存在を近くに感じられるからです。親しみやすさというか,安心感がある気がして。

ゾロリたちも,読者のすぐ近くにいるかのようなその距離感が,子どもたちに親しまれる理由の一つなのかなと感じました。脱獄したゾロリたちが,今後も読み手も巻き込んで「いっしょに」旅をさせてくれたらいいな,なんて思っています。